甥の体をいたわり叔父さんが出張の際によく購入してきてくれた高麗人参

お盆とお正月に父親のまとまった休みが取れた時には、自宅から200キロほど離れた祖父母の家によく出掛けたものです。
体の弱かった私は童顔だったこともあって、親戚からとても可愛いがってもらいました。
叔父は甥である私の体をよく心配してくれていたのを覚えています。
しかし当時は仕事が忙しく、国内のみならず海外への出張が立て込んでいて、なかなか会うことはできませんでした。
そんな中、祖父母と暮らしていた叔父は様々な国から購入してきた、虚弱体質に効果のありそうな薬や栄養剤をたくさん買い置きしていたのをよく覚えています。
その一つに、ひときわ目立つ高麗人参がありました。
高麗人参と聞くと、幼いながらにもとても高級なイメージを持っていました。
だからと言って、どんな効能があるのかを気にするわけでもなく、たくさんある栄養剤や薬の一つでしかありませんでした。
大人でも、子どもであればなおのこと薬を飲むことに嬉しさを感じる、ということは決してないからです。
どちらかというと、日本にはないおもちゃや、美味しいお菓子などをたくさん買ってきてくれることのほうがどんなにか嬉しかったでしょう。
子どもであれば、つい抱きがちな考えかもしれません。
その考え方は、ある出来事を機に大きく変化していくことになります。
何をするのにも気力が出ず、どんよりとした毎日を過ごすことが続いていた小学校高学年時代、そのことを耳にした叔父が忙しい中、駆けつけてくれたのです。
その手にはもうお分かりの通り、高麗人参がありました。
何も考えていない、遊ぶことにしか興味がなかった私には、なぜそれを持ってきてくれたのかを理解してはいませんでした。


とにかく、だまされたと思って、高麗人参を口にしてみるようにと言うのです。
親はなかなか口にしない私を見て苦労したのではないでしょうか。
よくある手ですが、物でつて、それを口にするということは我が家ではありませんでした。
眠りかけの時を見計らったかのように口に含ませるという方法に出ました。
何時間もの格闘が始まりました。
最初のうちはその連続です。
やがて、何も言われないで高麗人参を口にしていました。
それは、毎日がだるかった体の状態を改善するのに役立っていたのです。
少しずつ元気が出るようになってきました。
ただの高級なイメージしかなかった高麗人参ですが、隠された力があるのだ、ということを幼いながらに感じるようになっていました。
そして、叔父をはじめ、家族の強い愛と絆への感謝を忘れてはならないことを学ぶことにもつながったのだと思います。
もちろん、同じような症状のあるすべての人に効果があるわけではないかもしれませんが、古くから大切に扱われてきた高麗人参の効能を見限ってはならないのでしょう。
便利になった現代社会の中でも人体の特徴が大きく変化することはあまりありません。
多くの知恵と知識を蓄えてきた人間社会にあって、それを実際に生かすということは大いに求められる分野であり、一人一人がそうした事柄と真剣に向き合わなければならないという事実を明らかにしているのかもしれません。
様々な薬や栄養剤に頼ってばかりでは人類の発展にはつながらないでしょうが、そこに可能性がある限り、研究を怠っていてはならないのです。
長い年月をかけて多くの人に支持され、愛されてきたものが受け継がれていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
こちらのサイトではいろいろな種類の高麗人参を比較しておりますので、ご購入の参考にしみてください。
 

IMG-高麗人参